毒島城跡

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Isesaki, Japan

go-isesaki.com
Castle

毒島城跡 Reviews | Rating 3.7 out of 5 stars (6 reviews)

毒島城跡 is located in Isesaki, Japan on Akaboriimaicho, 2 Chome. 毒島城跡 is rated 3.7 out of 5 in the category castle in Japan.

Address

Akaboriimaicho, 2 Chome

Accessibility

No wheelchair-accessible entrance

Open hours

...
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伊藤利一

春には桜が満開です 名称のとおり、伝説もあるようなので、是非訪れてみてください

小林達也

このお城には「蛇体合戦」という伝説があるそうです。 鎌倉時代の始め頃、赤堀を領有する青木入道が籠る城に、三千の軍勢が押し寄せました。寄手は赤石郷(現在の伊勢崎市)の三浦賢庭。つねづね領地の境をめぐって、小競り合いを繰り返していましたが、ついに大軍を発して攻め寄せたのでした。 賢庭が観望すると、城は沼の中に浮かぶ島の上にあり、東側から攻めた方が近いようです。すぐに下知して軍勢を東側に集めると、不思議なことに城は島ごと、沼の反対側に動いていってしまいました。 今度は西側から寄せようとすると、また反対側へ移動してしまいます。 これは巨大な生き物が島を動かしているに違いないと気付いた賢庭は、辺りに生えていた猛毒のトリカブト(ブス)を石臼で挽き、沼に投げ込みました。 するとにわかに水面が暴れ出し、沼の中から巨大な蛇が、苦しみにのたうちながら姿を現しました。島を動かしていてのは、この沼の主である大蛇であったのです。 さしもの大蛇も、ブスの毒には敵わず、ついに城は落ちた…というお話です。 ブスを挽いたという石臼は、城の北側の峰に最近まで残っていたそうです(**)

勝山芳郎

毒島城址は多田山丘陵東側に位置し、周囲は水田に囲まれ平面形は東西約150mの楕円形を呈している。古くは湿地に囲まれた島であったとされている。毒島城址の構造に関しては、中心の本郭とそれを囲む腰曲輪からなっており、戸口は西南面中央1カ所のみであり、攻撃性は低く、出城としての機能を有していたと推測される。また、毒島城には次のような伝説がある。三浦河内守謙庭が毒島城を攻めたとき、この沼には大蛇がすんでおり、なかなか攻められずにいた。そこで三浦河内守謙庭は7つの石臼で毒を作り、沼に投げ入れたため、大蛇はいたたまれず、西に脱出し島はたちまち落ちたという。 毒島城は、赤城南麓の戦国時代を解明する重要な文化財であることから、町指定の文化財とした。 伊勢崎市教育委員会の案内場員より引用。 本郭の半分は畑になっていますが、本郭と腰曲輪が良く残っています。北側には桜の木が多くあり、春には桜の花がきれいに咲くと思われます。

小板橋崇

沼のなかの島だった場所です。今では沼跡は南側に開いていますが、昔は築堤がありました。国土地理院の航空写真からもその跡が確認できます。また、戦後すぐに県内の城郭の研究をされていた山崎一さんの毒島城の縄張り図にも掲載されています。 沼がいつ頃まで残っていたかは不明ですが、築堤の成立を考えれば時期が判明するかもしれません。水源の確保は古代からの命題ですので、赤城山南麓には大規模河川が少なく河床との比高差があることから沼がたくさん作られたようです。 いろいろ伝説が残る城跡ですが、場所がら雰囲気を感じる場所です。

千差万別

古墳群だと思っていたら城跡で沼のなかにあった島だったらしい ちょっとした桜のあなばです

田中成子

桜の時期最高です