Maizuru, Japan
1584番地, Taira
N/A
+81773680836
Compelling story, but absolutely no mention of why there were so many Japanese soldiers overseas, taking part in a criminal war.
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Good site seeing place
Good sighting point
舞鶴引揚記念館 昭和20年(1945)10月7日、引き揚げ第一船「雲仙丸」が入港してから、13年間にわたり66万人の引揚者を温かく迎えたまち舞鶴。 舞鶴引揚記念館は、引き揚げやシベリア抑留を後世に継承し、平和の尊さを広く発信する施設として、全国の体験者や関係者、舞鶴市民の皆様のご支援ご協力により昭和63年4月に開館。 戦争を知らない世代が多くなり、引き揚げの歴史も徐々に風化しつつある今、歴史を知りよりよい未来を創造するために役立つ拠点として、舞鶴引揚記念館の果たす役割はますます重要になっています。 平成27年9月には、若い世代にも分かりやすく共感できる展示への改修や環境整備などを進め、リニューアルオープンしました。 また、平成27年10月10日には収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。 今後も、「平和の尊さ・平和への祈り」を世界へそして未来へと発信し続けていきます。
ようやく行けました。 なぜ舞鶴が引揚げの港になったのかを、自分で調べる事ができた。 舞鶴は、軍港。 現在も自衛隊や海上保安庁などが港をつかっている。 早い話、満州へ追い出した港でもあるわけ。 責任取って受入れ港を装っただけ。 引揚げを美談にしているのが多いが、追い出した責任取るのはあたりまえだろ。 満州への追い出しに関しては、長野の「満蒙平和記念館」がその非道さと人々の苦しみを伝えてくれている。 戦争反対と言いながら、軍事力を保持し、多額の税金を注ぎ込んでいる。 明治前にはあり得ない倫理観。 情けない。
主にロシア抑留からの引揚に関する資料が保管、展示されています。 戦後の食糧事情は厳しい最中、 極寒に耐え、狭き宿舎で文字通り「川の字」で寝るなど、生活の大変な苦労もあったようですが... 真実は小説より奇なり、とは良く言ったもので、 抑留されていたものの 逆に太って帰ってきた抑留者や、 比較的好待遇された為、 ソ連に逆に好意をもった者も居たようで、 どうやら収容所毎に捕虜待遇がバラバラだった事を 説明員によって解説していただきました。 ただ、 故郷へ戻れた気持ちは一入でしょう。 そういう記憶が私達に残る事で、先人の様々な想いに歴史を重ねて考え、 未来の歩み方を構築していくのだと 感じました。
第3木曜日が休館日とあちこち見なくても分かりやすいように記載してほしいと思いました。 星が3つの理由です。 ホームページには営業中、確かに記念館に入れなくても駐車場には入れるし、桟橋の見える丘にも行けます。 今回、私は記念館を観たかった… 天気がよかったので歩いてきました。 20年ぶりに来たら色々と変わっていました。 また休館日じゃない日に出直します。
バスの本数が少ないので、要注意。 バスの折り返し1時間で、 ・展望台早歩き20分 ・羅針盤のカレー20分 ・館内見学20分 ちょっと駆け足でしたが、なんとか十分に満喫できました。
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