縁切寺満徳寺遺跡

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Ota, Japan

www8.wind.ne.jp
Archaeological site

縁切寺満徳寺遺跡 Reviews | Rating 3.7 out of 5 stars (3 reviews)

縁切寺満徳寺遺跡 is located in Ota, Japan on Tokugawacho, 382-2. 縁切寺満徳寺遺跡 is rated 3.7 out of 5 in the category archaeological site in Japan.

Address

Tokugawacho, 382-2

Phone

+81276522276

Open hours

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山城大好

明治に廃寺になり、昭和の復興ブームのなかで本堂を復元させて、縁切寺満徳寺遺跡として復活させた。 それなりには昔を偲ぶことができます。

浅見満儀

本堂は復元ですが、駆け込んだ女性を取り調べるだろう役所の案内板があります。時代劇でしか知らない縁切り寺を身近に感じられます

鍋割山のギン太

満徳寺は鎌倉時代に新田義季(よしすえ)が建立した尼寺であり、彼の娘である浄念尼が初代の住職となりました。 江戸時代になると、満徳寺は徳川家康によって手厚い保護を受けることになりました。 家康が義季の子孫であると名乗ったからです。 幕府の保護によって、満徳寺は鎌倉の東慶寺とともに、縁切寺として存続することができました。 ところが明治維新で徳川幕府が崩壊すると、檀家を持たない満徳寺は存続の危機を迎えました。 駆け込む女性からお金を貰うことはできず、苦し紛れに神社に変えたいと申し出ましたが、これを明治新政府は許しませんでした。 やむを得ず、寺の尼達は帰農を願い出ましたが、誰も農業の経験がなく、寺宝を売却したり、土地を手放したりして、糊口をしのぎました。 しかし、尼達の力だけでは存続することができませんでした。 最後には野草を摘み、大切な古文書を燃やして煮て食べたといいますから…無惨な話です。 大切な文化財は、何とかして守っていきたいものです(;_;)/